高木完 インタビュー

高木完 インタビュー

自分を形成してきたモノと今の生活に必要なモノ

70年代ロンドンパンクに衝撃を受け、「東京ブラボー」を結成。80年代にDJをはじめ、ヒロシ(藤原ヒロシ氏)と「タイニー・パンクス」結成しました。また、クラブ・ミュージック・レーベル「MAJOR FORCE」を設立し、スチャダラパー等を世に送り出してきました。21世紀、A BATHING APEレーベル「APESOUNDS」、UNDERCOVERのサウンドディレクション等の音楽活動だけでなく、ファッション、アートなど幅広いジャンルで活動しています。年齢も折り返し地点をすぎた今、これまで伝えきれてないところに、僕だから伝えらえることがあるんじゃないかなと、ターニングポイントだとおもっています。HATCHでは、そんな情報発信の一つの場所として、これまでの高木完を形成してきたモノと、今の高木完に生活に必要なモノを紹介していきます。



音楽、ファッション、アート

ヒロシ(藤原ヒロシ氏)と出会い、ヒロシのDJスタイルがクリエイティブに感じられて、それまでDJは遊び場のものだと思っていましたが、興味をもつように。それからHIPHOPが好きになっていき、ヒロシにRUN D.M.C.をきかせてもらったときに、このスタイルでそれなりのものが作れるなとおもい、タイニー・パンクスを結成しました。最初ヒロシに出会ったときは、DJだけでなく、洋服も好き、スタイリストもやるし、あれがおもしろいとか周りに伝える役で、視点がすぐれているな、おもしろいなと思いました。僕自身もともと、「ホットドッグ・プレス」や「宝島」等の雑誌の連載で、音楽だけでなくファッションやモノも紹介していたのですが、タイニー・パンクスでも、音楽活動にとどまらず、雑誌の連載でモノの紹介や、今はこれが面白いとか面白くないとかをやっていました。あれから、約30年ほど、それが今も続いて、音楽活動だけでなく、ファッション、アートなど幅広いジャンルの仕事をしています。



今の自分だから伝えられることがある

MAJOR FORCEを設立してからは、より音楽的な活動が中心になっていきました。他があまりもやっていない面白いことをやっていたので、レコード会社もサポートしてくれるようになりました。だんだん、売れない音楽は売れない、売れる音楽は売れる、とうように、ヒエラルキーの差が大きくなっていき。そうこうしてく間に、まわりの洋服をつくっていたNIGOやジョニオ(高橋盾氏)が、A BATHING APEやUNDERCOVER などですごくなっていきました。彼らのシーンと自分の音楽シーンが重なって、APESOUNDSやUNDERCOVERのサウンドディレクションなどを行うように。僕がまいた種で育った人がいっぱいますが、今は収穫の時期というよりターニングポイントだとおもっていて、伝えきれてないところに伝えていこうと思っています。NIGOより、さらにもっと下の世代に、元ネタはこれなんだって教えられるくらいものを自分でやっていきたい、伝えていきたいと思います。



高木完を形成してきたモノと今の生活に必要なモノ

モノを選ぶ基準は、最初はみため。みためで選んで、あとはいかに生活に入りこんでくるか、自分のスタイルに合っているかどうか。気に入ったモノがあれば、それに合わせて洋服など周りのモノを選ぶこともあります。どれだけそれを愛して使い続けられるか、たとえ壊れても直してでも使いたいとおもえるか、そこにモノの価値があると思います。いろんなカルチャーに触れてきて、折り返し地点をすぎた今だから、僕だから、伝えられることがあると思います。HATCHでは、今にいたるまで高木完を形成してきたモノと、今の高木完の生活に必要なモノをセレクトしていきます。


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